まばゆいほど輝いて

それでも今日は往く

強いジャニオタとは何かを考える

トピック「応援スタンス」について

 

だいぶ遅れをとってしまったけど私なりのジャニオタ論を書いてみた。

前回のブログでも触れたが、ジャニオタっていうのは独特な文化を持っている人種だと思う。私はジャニオタとアニオタの経験しかないし、実はアニオタはジャニオタから移ってきました~っていう人が多くてあんまり人種間比較的なものはできないかもしれないけど、少し話をさせてほしい。

 

私とジャニーズとの出会いは小学校6年生のときのことだ。最初はHey!Say!JUMPの知念くんが好きで、でもすぐに冷めて嵐の櫻井くんが好きになった。翔くんのことは1年くらい好きだったけど、いつのまにかニノのことがもっと好きになってて、それからはずっとニノ担。でも、その間にもNEWSのライブに行ってみたり、関西ジャニーズJr.のライブに行ってみたりと、所謂「浮気」行為もしてきた。ところで、こういう言い方もジャニーズ独特だなぁって思う。まぁ、今アイドルをたくさん抱えてる事務所って言うのがジャニーズか48Gくらいしかないから比較もできないんだけど、同じ事務所にお金落としてるのに浮気って言うのは面白い表現だよね。

話を戻して、このようなジャニオタ街道を歩いてきた私は、独自の「ファン観」を持っていた。前述した記事にも書いたが、ジャニオタの中にもカーストがあって、私は、そのカーストの頂点にいるのは「全ステ」と呼ばれる、全公演に足を運べる人だと思っていた。私が嵐に一番ハマっていたときは2010年くらいで、2010年といえばもうチケットがめちゃめちゃ取りにくい時代だった。今も取りにくいとは思うけど、ファンクラブ10名義入ってても全滅しましたなんて話もよく聞いた。その当時中学生でとにかく暇だった私は大阪でライブがあるときでチケットが取れなかったときは必ずと言っていいほど音漏れをしに言ってて、そういった「全ステ」に近い人と仲良くなったりもした。子供だった私はとにかくその人たちが羨ましくて、なんとしてもこういう大人になりたいと思ってた。昔から「早く大人になりたい」としきりに思ってたけど、今考えるとこのときの影響が大きかったんじゃないかな。一番嵐が盛り上がってたときに誰にも遠慮せずお金をつぎこめる大人のお姉さまたちが羨ましかった。

また、こうした「全ステ」勢は、ライブ中の振舞い方が違う。まだ映像化されていない曲の振り付けを覚えてたり、ハケる場所や次に出てくる場所がわかってたり。今思うとコンサート見に来てるんだから嵐を見ろよって思うんだけど、そのときの私はとにかくファンの所作振る舞いを見てた。そうしたファンが「強い」って思ってたし、「私は嵐のためにこれだけのお金をつぎこんでますよ」ってアピールできることがヒエラルキーの高い人だと思ってた。いや強いってなんだよとか思うかもしれないけどそれ私も今めっちゃ思ってる強いってなんだよ…。
これは私が考えるヒエラルキーの頂点だったけど、人によってはもっと違った構造になってると思う。たとえば、「ライブ衣装と同じものを作って着てくるファン」とか、「双子コーデがかわいい」とかの見た目に順ずる階層もある。キンプリ記事で書いたパニエに盛り髪とかもここに入ると思う。全ステ勢は認知のために頑張ってたりすることもあるんだけど、実際のところは「楽しいからやる」っていう人が多いんじゃないかな。もちろんこれは他のファンの牽制にもなる。(牽制して何になる?っていう質問はしないでほしい。書いときながら私にもわからん) あとはファン歴が長い人っていう階層とか?ファン歴が長い人はオフ会とかでも一目置かれてたし、「昔はこうだったよね~」っていう話ができる人は強かった。コンサートに昔のグッズとかうちわとか持ってきてる人とかも同じ階層だと思う。2009年の花男劇場版あたりからわらわらとファンクラブ会員数を増やしていった嵐ファンは、このあたりで一つの境界線みたいなものがあったと思う。「流行る前から好きだったファン」と「流行に乗ったファン」って感じの。それが悔しくて昔のコンサートの映像見まくったり古いうちわを買ったりもした。当時中学生の私がそんなに古いファンであるわけないのに「昔から嵐ファンでしたけど、何か?」みたいな雰囲気を出そうとしていた。もう一度言うけど中学生が。笑うでしょ。あとはあんまり心当たりないんだけど、もしかしたら「絵が上手なファン」みたいな階層もあったのかもしれない。そのころ同人の知識は全くなかったけど、生モノ界隈はずっとある程度の需要と供給があったから絵師さんがヒエラルキーの頂点だ!って思う人がいるのも自然なことかもしれない。
こうした階層はそれぞれちょっとずつ違った文化圏を持ってて、複数に所属する人もいれば全く所属しない人もいたと思う。この文化圏っていうのが「応援スタンス」っていうことなんだろうなぁって今回この記事を書くのにあたって思ったことだった。もう昔のことだし、今の私は緩くしか嵐を応援してないので、「アイドル」っていうものの楽しみ方が自分自身の中で変わったんじゃないかなぁってぼんやりと思った。というか、昔はそういうことを考えることでしか時間を過ごせなかった。今はもっといっぱい考えることがあってそれどころじゃないって言うか、まぁとにかく、考えなくなった。それが大人になったからなのか何なのかはわからなけど、でも今でもそこらにいる中学生は昔の私と同じように必死に古参アピールとかしてるのかな~って思ったら純粋に気になるよね。そういえば私昔やってたブログで「知ったか反対同盟」とか作ってたわ死ぬほど懐かしいそして黒歴史…。自分が一番知ったかなのによく言うよって感じだけど、多分同属嫌悪だったんだろうなぁ。応援の仕方っていうのは人それぞれだけど、ジャニオタにはもっともっと見えない文化とか歴史があって、それはきっと今でも続いてる。その変化をその時勢のファンが身に付けていくんじゃないかな。好きなように応援してても、実はみんな誰かがつくった文化というレールに乗っかってる気がする。っていうジャニオタ論でした。頷いてくれる人がいたら嬉しい。あと「強いファンとは」っていうトラバも心待ちにしています。この話は突き詰めるともっとアングラなところまでいくし、書けば書くほど「あのときはこうだったよね~!」っていう古傷をえぐるので自重しながら考察を深めていきたい。めんどくさくて注釈もいれてないけどジャニオタにしか伝わらない言語とかもいっぱいあるし、その階層だけで広まってる常識とか社会現象っていうのは確かにあると思うから次は1万字くらい思い切って書きたいな~。